柏水堂のプードル、復刻、本日サヨナラ

2年前、神保町の柏水堂が突然閉店。・°°・(>_<)・°°・。

 

私、

この子にもう一度会いたかったの。


柏水堂ではさくらんぼのタルトやクッキーなどが大好きで、プードルちゃんはいつだっているから。。

 

と、思っていたら閉店。

 

二度と会えなくなって、ショックを受けていたのですが、

「柏水堂出身の方のお店があるのでは?」と、思って捜して、見つけ出せずにいましたが、、、

先月末、「もう一度」と調べたところ、

柏水堂出身の方のお店を発見。

 

しかも昨年「11月11日ワンワンの日+1日限定でプードルケーキを提供」とのこと(>人<;)

 

しかも、しかも、そちらのお店、今度の3月には店舗を閉め、通販のみに移行とのこと。

 

つまり、今年が本当の本当にラストプードル。

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問い合わせをしたところ、昨日今日で復刻。
電話予約可能なお店だったので、仕事終わりに駆けつけました(>人<;)

 

深いラムの香り、口で解ける爽やかなバタークリーム、自家製の木苺のジャム、ラブリーなお顔。

美味しいよー。・°°・(>_<)・°°・。

 

柏水堂出身の方で他にお菓子に携わっている方はおらず、プードルケーキ用のマドレーヌ型は、こちらのご店主が引き継いだのだとか。

 

今後、型を誰かに譲るか、ずっと持つかも決めかねているそうですが、

ラブリーなプードルさまに「無くなってしまったいつか」ではなく会えて幸せです。

 

ハチミツとクローバーにも出ていたそうですが、このプードル、会いたくて涙をのんだかた、本日がラストチャンスです。

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お店は、亀戸から徒歩10分、京葉道路沿い、亀戸7丁目BMW斜め向かいの「喫茶かめ」さん

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神保町のブックフェスに行ってみた ((´;ω;`)ウッ…

先日、いつかと思った神保町のブックフェスに初めて参戦してみた(*´-`)

いや、もう、ほんと、大変危険極まりなくて涙が出てくる。

各国料理の屋台は美味しそうだし(ビール飲みながら売ってる中華屋台などあり)、
本が。。

出版社ブースの本(中古ではなく出版社在庫)が基本半額_:(´ཀ`」 ∠):
子供向けも洋書もいっぱいだし、紙問屋さんのブースも楽しい。
場所柄レコードショップのブースもあり。

短時間でさらりと行って帰る予定も、
予算も、
予測体力限界も、

自制心が消えた瞬間、記憶にあらず。
一応、通常書店で買いやすいものは止めようって思っていたのだけれど、
気が付けば、どれもこれもがオーバー、オーバー、オーバー。
 
丸善さんの2万円超え辞書が3000円(タイムセール、昼間は5000円)財布の紐が緩む方に引かれてしまう。
 
早川さんのワゴンはすべてサイン本、岩波新書が1冊100円、初めての出版社さんの「うまい魚の見分け方」も大変面白そうだった。創元さんも大好きだけれど今回はどうにか逃げた。きっと書店でお会いしませう。
 
本屋では、お目当てなんて作らず開いて読んで決める私も、今回ばかりは目当てを決めて一番最初に平凡社さんの東洋文庫( *´艸`)
丸善さんの本店で手にした「シャマニズム~アルタイ系諸民族の世界像」が面白すぎて
 
箱入りの本は、中身確認の手間もあり、ちょっと手に取りにくくもあるのではありますが、箱に入れたくなるのがわかるクオリティ♡
 
歌も「聴く」もの、「歌うもの」があるように、
本も「さらっと読むもの」「読み返し、かみ砕いて楽しむもの」の二つがあって、
東洋文庫さんは後者。
 
本や情報が消耗品的になって来ている近年とは思うのだけれど、
こうした本には、「消耗品にはならないぞ」って矜持と読者を本が食うのじゃないかってほどの自信がたっぷり詰まっていると思う。
 
こういう本を自分なりに読みこなし、かみ砕いて楽しんだ時の気持ちよさ、知っている知識とリンクした時には、本当にとろけそうなほどに幸せで、脳内麻薬の数値が出るならずいぶん随分なのだと思う。
 
「知る」ことを怠れば生きていくのができないような「今」ではないけれど、
今の「ヒト」があるのは「知る」のが本能の次に覚える最初の贅沢だからじゃないかしら。
 
神保町は、大変危険な所です。
ブックフェスでは不思議な題名の本や財布の忘れ物の放送たくさん。
 
次から次にかったもののページをめくりだしてしまっているお仲間さんの姿がはっきり想像できる。手の中にあるときめきを読み始めない理由などない。
 
来年も11月の初めごろ、本好きの理性がポンと霧散する危険イベントが開催されることでしょう。


私も2-3冊で終えようなんて、自分を甘く見すぎていたのだと思います(-.-;)y-~~~
お財布カルクナッチャッタヨー

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来年行かれる方は、頑丈な肩掛けバック持参をオススメします

98の夜と、97の朝

12月の31日+11月の30日+10月の31日=92日
9月は30日で、今日は25日。
23日秋分の日に残り日数100となり
2桁の日々が始まりました。
 
短いでしょうか、長いでしょうか。 
たった一度の出会いで転職を決意した人を知っています。
 2週間で、結婚された方も知っています。
たった5分の出会いが、数年の付き合いになっている友人もいます。
 何年も同じクラスにいたって、互いにたいして知らないまま卒業した人もいます。
何年も経ってから、共通点が少ないと思っていた人に、共通の方向性があったのかって互いに当時が惜しく、これからを大事にしている人がいます。
 
 今年を振り返る時、身近なことは思い出しやすいもの。
 90云日の中で1回でも一緒の時間があれば、相手の2017年の振り返りイメージは、貴方のもの。
、、、かもしれない(笑)。

 

ちびさま達の今年のイメージ、年末休みにゴッソリさらうパパさま達もいるんだろうね。 
 
これからの98の夜と97の朝。
何人の2017のイメージに、貴方の色を落としていきますか?

ボンタン飴とワタシ

投票を済ませ、お出かけ。

行き掛け、目的地付近で重そうなトランクを持ったおばあちゃまが、階段前で立往生していたので出口まで5分ほど荷物持ち。

。。。の御礼に巨大ボンタン飴を頂く。

おばあちゃま、ワタシいまワンピース。
これから用事が。。
用事が。。

これから同窓会というおばあちゃま。
九州の看護学校出身だそうで、今日が楽しみとニコニコ可愛い。
可愛くて、断りきれず、私、ワンピース姿でボンタン飴(袋なし)。

しかたがないので、知り合いの方々のおやつに、、と、受付でお願いして受け取って頂き、数時間後。。の、喫茶店にて。

 

あの、おばあちゃまにまた遭遇し、
兵六餅という小さなお菓子を2箱頂く。

兵六餅は、海苔の味がする不思議なお菓子。みんなに消費を手伝って頂いた帰り際。。

「さっきは本当にありがとねぇ」と、
あのおばあちゃまが、またしても巨大ボンタン飴をヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

タベキレナイワヨおばちゃま。
そんな感謝されても。。
と、
そして3度目も断りきれずに押し切られ( ̄▽ ̄)フリダシニモドル。

頑張ったら、わらしべ長者になれる気がする。

明日以降、私と遭遇した方、どうぞ一粒ほどのボンタン飴or兵六餅の受取拒否はしないでください。

365日を割ると、明日は丁度折り返しの日。f:id:ai_no_mainichi:20170702232148j:image

 

甘くて苦くて大事

昨夜、実家のパーティーで1963年のポートワインを飲んだ。

今が2017年だから半世紀と少し、54年前のもの。
少し濁ったような色合いで嫌味のない甘さが、不思議なくらい自然に体をあたためてくれる。
 
「甘い」と「美味しい」と喜びながら、周囲は東京五輪を目安に54年前、そしてその前の時代へと話題を移す。

「甘いものは苦手なのよね」と言いながら笑って飲んでいるおばさまの隣で、
「甘いわねぇ」と、ほほえみながら味わう方がいる。

 隣にいたお二人は戦時体験者で、昔を振り返りながら、ふと「東京生まれ、東京育ちは、田舎がないから大変だった」と漏らされた。

配給では足らず、田舎のある人は疎開したり、田舎から食料をもらったりしたのだったかと、本の知識を思い出し、少し眉を寄せあいまいにうなずく。
 
そんな私に「ねぇ、あの頃って何を食べていたかわかる?」と、声がかかる。

これはお米とは言えない。「黍(きび)や、粟(あわ)でしょうか?」
と返すと、戦時体験者のお二人がきゃらきゃらと笑った。
 
「貴女、高粱(こうりゃん)なんて知らないでしょう?」
「こうりゃん?」
「馬の餌よ、飼料になるようなもの」「美味しくなかったわね~」「まずくって」
 私がきょとんとしているうちに、戦時組のお二人はそのまずさについて盛り上がる。
 
*後で調べてみたところ、高粱(「もろこし」ともいう)は馬の餌にもなりますが、
 今も人の食べる穀物として栽培されています。グルテンが含まれていないので、
 小麦アレルギーの方などが代用で使われることもあるようです。
*タンニン(つまり、「渋」)がかなり多く含まれているので、米に比べると食味はあまりよろしいものではないだろうと。。。主食が渋いのですものね。。。

 おばさまは、ポート酒を一口なめて、また「甘いわね」とつぶやく。

 そして、戦後に「小学校に入って初めて飴玉を食べた」というお話を伺う。
 こんなに甘いものがあるのかと、驚いたという話。

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戦時中の記憶を語る本などで、砂糖が配給だったとか、赤ちゃん用の粉ミルクが甘くてこっそり食べてしまった罪悪感などを目にすることがある一方、
こっそりと隠していた砂糖を使ってすき焼きをしたなんて話も読んだことがある。

配給があるのだから、いくら食べられないといっても甘いもの自体は知っていると思っていたのに、そこまで甘さを知らなかったとは思ってもみなかった。「飴玉」という単語が心にズドンと降り立った。
 
私の最初の飴玉の記憶は、幼稚園の遠足で食べたサクマの三いちごミルク。
青葉のにぎにぎしい季節、小さな体には大きい小さなリュックを背負って歩いて15分ほどの公園に行き、先生から配られたもの。

不思議な三角形の飴が割れ、中から出てくるトロリにびっくりしながら甘いものの記憶の種類を増やした。
 
小学生で食べたのが、初めての記憶。
幼稚園生で増やした記憶。
 
お話しになりながら、本当に幸せそうに初めての飴玉の大きさや形を手で作る。
甘いポートをまた一口。

和やかに笑いながら話される皆様。
辛くて、でも、忘れられない幸せで大事な思い出。

もう堪らないなぁ・・
戦争なんて、もう本当になければいい。

 

 

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番組内容の補足は以下で行っています。

ai-talk_to_you’s diary

古い食器の間から

数年前に逝ってしまった祖母が結婚したのは、大正7年のこと。

家は、かつて旅館だったところだそうで、屋根の形、窓の装飾、どれもかなり素敵で、

一日中だっていられそうな気がする。

 

先日、あちらの親戚と共に祖母の家から食器などを分けて頂いてきた。

曽祖父が結婚に合わせて食器類を誂えたのだそう。

10人、20人と揃いの食器は、当時の人たちがどれだけ沢山の方を

もてなさなければいけなかったのかと そんな風に思う。

 

陶器も漆も、綺麗にふいていくたびに、

「ようこそ」「たっぷり使わせていただくからね」と、そんな気分になる。

 

沢山の食器類は、その時代ごとの布やチラシ、新聞などが入っていて、

ズロースなんて名前が出てきて、時代を感じる。

昭和20~30年代の朝日新聞は、今よりずっとフォントが小さく情報が詰まっている。

 

個人的にはそちらの方が情報量が多くて好きだなあ。と思いつつ、

戦中・戦後、若い人の方が多い時代なのだと胸が痛む。

今のように老眼を患う方を思う必要がなかったのだろうと、そう思う。

 

そんなことを考えながら、黙々と食器のお手入れなどをしていると、

ちょっと毛色の違う紙が数枚出てきた。 

 

おそらく、旅館だったころの紙が残っていてのものなんだけれど、

右側に「宿泊人届」と書かれている。

その下に宿の名前があって、

中心部は上から順に到着日時、出発日時、職業、族籍、住所、特徴、氏名・年齢の欄。

 

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 全部で4枚出てきたのだけれど、特徴を書いているものはない(面倒よね、それは)

面白いのは族籍で、これは士族・平民と書かれている。

今ではすっかりなくなってしまったもの。

職業は、「ノ(多分農の意味)」とか、「材木」などが書かれている。

これは大正12年の届け。

今から94年前のもの。

きっと今はもういらっしゃらない方々の足跡を見て、当時の日本は今と随分違うと

しみじみとする。

今、士族なんて特に大きな意味がない。

こんな沢山のお皿もそうそう使うことがない。

100年近くたつと世の中はこんなにも変わってしまう。

 

頂いた食器たちは昔も今も変わらないはず。

大事に大事に使おうと思う。 

 

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GWはどこへ?長篠と富士見川PA

GWは、唐突に西へ。

両親とともに親戚のもとへ。

ゴールデンウィーク前日の決定では、当然ながら新幹線のチケットなど

取れるはずもなく、渋滞に果敢に突入することとなる。

初めて使う新東名、トンネルが多くて、ふと立ち寄ったパーキングエリア。

名前は「長篠設楽原PA

 

新東名ということだから、まだ新しいPAなのに、

ずいぶん字面の固い名前をつけるものだと、ぼんやり思う。

 

PAのまわりには戦国武将の立てる幟があって、渋滞でくたびれた頭のまま

この紋はどこの紋だったか?とか、戦国武将はいくつもの家紋を適時使い分けていたり

したはずなどと、ここのPAのコンセプトは戦国なのかなと益体もなく考える。

 

長篠といえば、長篠の戦いというのがあったけれど、あそこは今の何県だったか。

などと、とろけそうな頭で考える。

 

東京生まれ、東京育ち。

戦国時代の歴史は、大抵自分の土地以外の所で起こったこと。

自分が車で移動してきたことなどすっかり忘れて@愛知県。

言い訳するなら、前夜1時間しか眠れなかったことや、40キロの渋滞は、

かなりつらかったのだと強弁したい。

 

PAには、差し渡し1mほどもある火縄銃も何丁か飾ってあって、

私の鈍くなった頭でも「もしやここ、本当に長篠の戦いがあった『長篠』では?」

と、思うのにたいして時間はかからなかった。

 

戦上手の武田信玄が亡くなり、将軍義昭を京都から追放し、

上り調子の織田信長とそれを支える家康たちの勢力

信玄が亡くなって勢力が弱まった武田氏の力を再度盛り上げるためにも

大群率いてきた武田勝頼

 

勝頼の軍は、織田勢力が少数立てこもる長篠の城を包囲し、兵糧攻め

長篠の城を守る勢力は、信長たちが城の外で勝頼たちを討つまで耐えるという

籠城戦に打ち勝った。

 

PAにある外階段を3階分ほど登ると、正面に写真のような小山が見える。

これは、織田信長の本陣跡だそう。

かなり鋭角的、人工的に見えるのだけれど、長篠の戦いで、

信長の陣地は、その地の凹凸を活かし、当時の日本の戦としては珍しいほど大地を

改良。

あえて大地を削ったりしたそうだから、この脇の鋭角的な角度は、もしかしたら当時の

ままなのかもしれない。

 

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以下は、パブリックドメイン長篠の戦いの合戦図だそうです。

信長の本陣、往時の片りんはあるでしょうか?

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/Battle_of_Nagashino.jpg

家族といっしょだったため、本陣跡に上ることはできませんでしたが、

何百年も昔、ここで合戦が行われていたのだと思うことさえ不思議になるような

穏やかなPAでした。

 

そうそう、帰りに東名で富士川というPAにも立ち寄りました。

こんな大きな観覧車があって、観覧車の足元のカフェの食べ物を持ち込むことが

できるという日本初のPAなんだそうです。

観覧車の足元あたりでも、十分綺麗に富士山が見えましたが、観覧車に乗ったらきっと

もっと素晴らしい景色が見られると思いますよ。

2月の末にできたというこの観覧車、G・W2日目の混雑の中でも、特に人が並んでいるということはありませんでした。

通りすがりのデートスポットとして、目立ちつつも使いやすい場所、かもしれませんね。

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