甘くて苦くて大事

昨夜、実家のパーティーで1963年のポートワインを飲んだ。

今が2017年だから半世紀と少し、54年前のもの。
少し濁ったような色合いで嫌味のない甘さが、不思議なくらい自然に体をあたためてくれる。
 
「甘い」と「美味しい」と喜びながら、周囲は東京五輪を目安に54年前、そしてその前の時代へと話題を移す。

「甘いものは苦手なのよね」と言いながら笑って飲んでいるおばさまの隣で、
「甘いわねぇ」と、ほほえみながら味わう方がいる。

 隣にいたお二人は戦時体験者で、昔を振り返りながら、ふと「東京生まれ、東京育ちは、田舎がないから大変だった」と漏らされた。

配給では足らず、田舎のある人は疎開したり、田舎から食料をもらったりしたのだったかと、本の知識を思い出し、少し眉を寄せあいまいにうなずく。
 
そんな私に「ねぇ、あの頃って何を食べていたかわかる?」と、声がかかる。

これはお米とは言えない。「黍(きび)や、粟(あわ)でしょうか?」
と返すと、戦時体験者のお二人がきゃらきゃらと笑った。
 
「貴女、高粱(こうりゃん)なんて知らないでしょう?」
「こうりゃん?」
「馬の餌よ、飼料になるようなもの」「美味しくなかったわね~」「まずくって」
 私がきょとんとしているうちに、戦時組のお二人はそのまずさについて盛り上がる。
 
*後で調べてみたところ、高粱(「もろこし」ともいう)は馬の餌にもなりますが、
 今も人の食べる穀物として栽培されています。グルテンが含まれていないので、
 小麦アレルギーの方などが代用で使われることもあるようです。
*タンニン(つまり、「渋」)がかなり多く含まれているので、米に比べると食味はあまりよろしいものではないだろうと。。。主食が渋いのですものね。。。

 おばさまは、ポート酒を一口なめて、また「甘いわね」とつぶやく。

 そして、戦後に「小学校に入って初めて飴玉を食べた」というお話を伺う。
 こんなに甘いものがあるのかと、驚いたという話。

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戦時中の記憶を語る本などで、砂糖が配給だったとか、赤ちゃん用の粉ミルクが甘くてこっそり食べてしまった罪悪感などを目にすることがある一方、
こっそりと隠していた砂糖を使ってすき焼きをしたなんて話も読んだことがある。

配給があるのだから、いくら食べられないといっても甘いもの自体は知っていると思っていたのに、そこまで甘さを知らなかったとは思ってもみなかった。「飴玉」という単語が心にズドンと降り立った。
 
私の最初の飴玉の記憶は、幼稚園の遠足で食べたサクマの三いちごミルク。
青葉のにぎにぎしい季節、小さな体には大きい小さなリュックを背負って歩いて15分ほどの公園に行き、先生から配られたもの。

不思議な三角形の飴が割れ、中から出てくるトロリにびっくりしながら甘いものの記憶の種類を増やした。
 
小学生で食べたのが、初めての記憶。
幼稚園生で増やした記憶。
 
お話しになりながら、本当に幸せそうに初めての飴玉の大きさや形を手で作る。
甘いポートをまた一口。

和やかに笑いながら話される皆様。
辛くて、でも、忘れられない幸せで大事な思い出。

もう堪らないなぁ・・
戦争なんて、もう本当になければいい。

 

 

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