GWはどこへ?長篠と富士見川PA
GWは、唐突に西へ。
両親とともに親戚のもとへ。
ゴールデンウィーク前日の決定では、当然ながら新幹線のチケットなど
取れるはずもなく、渋滞に果敢に突入することとなる。
初めて使う新東名、トンネルが多くて、ふと立ち寄ったパーキングエリア。
名前は「長篠設楽原PA」
新東名ということだから、まだ新しいPAなのに、
ずいぶん字面の固い名前をつけるものだと、ぼんやり思う。
PAのまわりには戦国武将の立てる幟があって、渋滞でくたびれた頭のまま
この紋はどこの紋だったか?とか、戦国武将はいくつもの家紋を適時使い分けていたり
したはずなどと、ここのPAのコンセプトは戦国なのかなと益体もなく考える。
長篠といえば、長篠の戦いというのがあったけれど、あそこは今の何県だったか。
などと、とろけそうな頭で考える。
東京生まれ、東京育ち。
戦国時代の歴史は、大抵自分の土地以外の所で起こったこと。
自分が車で移動してきたことなどすっかり忘れて@愛知県。
言い訳するなら、前夜1時間しか眠れなかったことや、40キロの渋滞は、
かなりつらかったのだと強弁したい。
PAには、差し渡し1mほどもある火縄銃も何丁か飾ってあって、
私の鈍くなった頭でも「もしやここ、本当に長篠の戦いがあった『長篠』では?」
と、思うのにたいして時間はかからなかった。
戦上手の武田信玄が亡くなり、将軍義昭を京都から追放し、
信玄が亡くなって勢力が弱まった武田氏の力を再度盛り上げるためにも
大群率いてきた武田勝頼。
勝頼の軍は、織田勢力が少数立てこもる長篠の城を包囲し、兵糧攻め。
長篠の城を守る勢力は、信長たちが城の外で勝頼たちを討つまで耐えるという
籠城戦に打ち勝った。
PAにある外階段を3階分ほど登ると、正面に写真のような小山が見える。
これは、織田信長の本陣跡だそう。
かなり鋭角的、人工的に見えるのだけれど、長篠の戦いで、
信長の陣地は、その地の凹凸を活かし、当時の日本の戦としては珍しいほど大地を
改良。
あえて大地を削ったりしたそうだから、この脇の鋭角的な角度は、もしかしたら当時の
ままなのかもしれない。
信長の本陣、往時の片りんはあるでしょうか?
家族といっしょだったため、本陣跡に上ることはできませんでしたが、
何百年も昔、ここで合戦が行われていたのだと思うことさえ不思議になるような
穏やかなPAでした。
こんな大きな観覧車があって、観覧車の足元のカフェの食べ物を持ち込むことが
できるという日本初のPAなんだそうです。
観覧車の足元あたりでも、十分綺麗に富士山が見えましたが、観覧車に乗ったらきっと
もっと素晴らしい景色が見られると思いますよ。
2月の末にできたというこの観覧車、G・W2日目の混雑の中でも、特に人が並んでいるということはありませんでした。
通りすがりのデートスポットとして、目立ちつつも使いやすい場所、かもしれませんね。
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番組の配信も遅いし、ブログの更新も遅い。。。のですが、
番組内容の補足は以下で行っています。